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【たて×ほこ】残業150時間超で忙し過ぎるのと定刻が待ち遠しいほど暇過ぎるのはどちらが辛いのか?

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こんにちはRolan/ローランです。

今日は忙し過ぎるのと暇すぎるのはどちらが辛いのかというテーマで記事を書いていきます。筆者は社会人生活の中で、半年間月100時間超残業(MAX月150時間超)するほど働いた時期もありますし、逆にほぼ残業なしで定刻が来るまで時計の針を何度も確認して苦痛を感じるほど暇だった時期もありますので、その経験を踏まえて、忙し過ぎるのと暇過ぎるのはどちらが辛いのか考察していきたいと思います。

 

 

1.忙し過ぎたときの苦痛

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まずは忙し過ぎたときの辛さを紹介します。

前に150時間超残業した時の月収を公開した時に軽く触れましたが、大きなプロジェクトの繁忙期とトラブル対応の両方をやっていて、TODOリストが際限なく増え続け、関係者もとても多かったた調整しなくてはいけないことが多く、嵐のように降りかかってくるタスクをひたすら返す千本ノック的な仕事をしていました。

 

rakuichirakuraku.hatenablog.com

 

出勤後は関係者の調整であっという間に定刻まで過ぎ、上層部が帰宅した定刻後に日中の関係者の調整で出た宿題を次の日の朝までに返すというスケジュール感で進めなくてはいけないため、残業せざるを得ないといった感じでした。そのころは働き方改革というものがなかったので、無駄としか思えないプロセスがてんこ盛りで個人の工夫で効率化できるといった感じでもありませんでした。月150時間残業した時は、月曜日~金曜日までは終電は当たり前で、週に2回は泊まり込みがありました。特に月曜日とか火曜日に泊まり込みが発生する確率が高く、終電で帰れたら「ああよかった今日は終電で帰れた」と安心して帰りの車窓で幸せを感じるほどでした。大体タスクの締め切りは1日も猶予がなかったため、常に締め切りのプレッシャーに追われていたため、本当に精神的にも肉体的にも追い詰められ、あまりの疲労から自分でも思いもよらない行動を取ったり、体に異変が出たりしましたが、(また他の記事で紹介したいと思います(笑))一方で毎日が文化祭の前日のような感じで、TODOをすべて打ち返した後は安心感と充実感がありました。苦しくも刺激的な日々でしたが、自分はメンバーのような体力お化けではないため、肉体的・精神的なダメージの蓄積か徐々に頭痛に悩まされるようになり、頭痛に悩まされるようになったり、風邪を引きやすくなったりするようにもなり、いつになったらこの生活から解放されるのか先が見えずしんどかったです。

もうあのペースでは働きたくはありません(笑)

 

2.暇過ぎたときの苦痛

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次に暇だった時の辛さを紹介します。まずなぜこんな暇すぎる部署に配属されたかといいますと、前述通り、月150時間超の残業をするなど、あまりにハードに働き過ぎて、ゆっくりする時間が本当になく、こんなペースで40年間働き続けられるのか不安になり、人事部に少し落ち着いて働ける部署への配属を希望したところ、頑張りも認められ、落ち着いて働ける部署への配属が実現しました。死ぬほど忙しかった時期からすればなんて贅沢な悩みなんだと思いますが、それが結構辛かった。。

 

前の部署では大きなプロジェクトとトラブル対応を両立していたため、日中は常にTODOリストは増え続け、前から飛んでくる球をひたすらキャッチして返す、まるで千本ノックのような働き方で定刻はあっという間に過ぎ、落ち着いて考える仕事はむしろ定刻からで、むしろ定刻から始まるという感じですが、楽な部署は勤務時間の2時間くらいで全部仕事が終わってしまい(忙しかった部署の時の本気を出せば1時間)、残りの時間はすることが全くなくただただ時間が過ぎるのを待つために仕事に関係する資料を読んでました。時計を見ても見ても時間が経たず、仕事内容も恐ろしくつまらなかったため、本当に地獄でした。

 

また、部署のメンバーも活気がなく、めんどくさいことはやってくれるなといった感じで新しい提案は全く通らず、人間関係も悪くお互いに足を引っ張りあっていました。自部署は諦め他部署とコラボして新しいことをやろうとしても部署として権限と発言力が皆無だったので、相手にされず、さらに他部署とコラボしようとすることをよく思わないメンバーもいて、まるで手足を縛られて8時間泳げといわれているようでした。

 

その結果、

2時間で終わる仕事を8時間でペース配分してやるようになった。

この部署には2年間いたのですが、振り返ると本当に時間を無駄にしたなという後悔の気持ちしかありません。その2年間で成長はほとんどなく、反面その間にライバルは力をつけて、明らかな差がついていました。

じゃあその時間資格やスキル取得に取り組めば良いのではないかと思うかもしれませんが、簡単なことを時間をかけてやる癖がついてしまったのと、忙しかった時の燃えつき症候群的なものも併発して、やろうやろうと思いつつ結局実行できないまま2年間が経ってしまいました。体力的に楽だったかといわれると、帰った後の疲労度は100時間超残業している時と変わらず、むしろずっと体が怠く、今日は調子がいいと思う日がほとんどありませんでした。休日も忙しい部署にいたときは土日のどちらか1日はアクティブに行動していましたが、暇な部署に来てからは休日もダラダラ過ごしてしまい、例えば、2日間Youtubeを見て休日が終わったり、せっかくデートをしても家でダラダラ過ごしてしまったりするなど本当に時間を無駄に消費しました。おそらく忙し過ぎたときの疲労が尾を引いたのと、燃え尽き症候群と楽な部署のやりにくさが、気力を極限まで削ったのでしょう。どれくらい気力が削られていたというと故障したスマホの修理に出すのが面倒臭く、めちゃくちゃ不便のまま半年間放置したくらいです。もうあの時期には戻りたくありません。

 

前楽そうで羨ましいなと思っていた窓際の人はこんなに辛かったのか、、、

 

3.結局どっちが辛い??

最後にどっちが辛い?ということですが、正直どっちもめちゃくちゃ辛かった。

でもそれだと面白くないので、どっちか決めなきゃいけないとなると、

 

暇過ぎる方が辛い。

 

人間は良いにせよ悪いにせよ環境に適応していくので、

目標を高くすれば、その目標に到達するようなマインドセット、行動になっていきますし、逆に目標を低く設定すれば、それでいいやという風になり、堕落する方向のマインドセット、行動になっていきます。

 

エネルギーが高い人が多い環境にいると仕事のでも成長もするし、プライベートも充実して気力が気力を呼ぶという好循環に入れますが、

逆に向上心がなく、人の足を引っ張るような環境にいると気力を吸い取られ、仕事もプライベートも悪くなっていく悪循環に陥ります。

 

暇になって気力を削ぎ落された時から、忙しかった時を振り返ると、とてもとても自分が同じ人間だったとは思えません。忙しかった時は公私ともに思い出が多かったですが、暇だった時は公私ともに思い出せることがほとんどありません。まさに謎の空白時代といった感じです。

 

まあ最後に言いたいことは良いにせよ、悪いにせよ

「環境が人を変えるということです」

自分の場合は少し極端な例を経験したのですが、

自分のスキルを磨くと同じくらい、いやそれ以上に環境を選択する力、良い環境を得るために努力することが大事だということ学びました。

とはいえ人間にはキャパというものがあり、それで精神や肉体が壊れてしまったら元も子もないので、自分の実力よりも少し高い環境で精神や肉体を極端に摩耗しない環境を選び続けることが大事ですね。

ということで今日は忙し過ぎるのと暇すぎるのはどちらが辛いのかというテーマで記事を書いてきました。

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~END~

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